天売島・焼尻島に行ってみようと思い立った数茂は羽幌町へ。
しかしこの日はあいにくの天気で、海もかなり時化ている。
フェリーターミナルに行ってみるが、島への船はやはり全便欠航だ。
島を諦めなければならなくなった数茂だが、羽幌にはもう一つ行きたいところがあった。炭鉱跡である。
祖父の写真に炭鉱の神社で撮られたものがあり、炭鉱町が今どうなっているのか見てみたくなったのだ。
フェリーターミナルには沿岸ハイヤーによる「三炭周遊観光」というポスターがあった。
「これなら写真の場所に連れて行ってくれるかもしれない」数茂の期待は膨らんだ。
とそこに、どうやら数茂と同じく島へ渡ろうとしたらしい天羽の姿が。
しばらく島の地図を見てから、諦めるように立ち去る天羽。ここでも2人は、すれ違う・・・。
早速沿岸ハイヤーへ向かおうとした数茂だったが、急に雨脚が強くなりひとまず雨宿りすることにした。
そこは、北るもい漁業協同組合の直売所「きたる」。
羽幌といえば、甘エビの水揚げ量が日本一で、そのほかにも豊富な海産品が揃う。
販売員さんに勧められて甘エビを一口。「あまい!」。早速自宅に甘エビ1kgを送った数茂だった。
傘を調達し、気を取り直して沿岸ハイヤーへ向かう。
受付で写真を見せ、「三炭周遊観光」で写真の場所に連れて行ってもらえるか聞いてみた。
すると、応対してくれた男性が驚いた顔で妙なことを言い出す。
「これ、子供のころの私の写真ですよ!」。
聞けばこの男性は、工藤俊也さんといい、子供のころ羽幌炭鉱の炭鉱町に住んでいたそうだ。
祖父は神社の前で遊んでいた少年を誰とは知らずに撮ったらしいのだが、なんと、その少年がこの工藤さんだったのだ。
そして現在「三炭周遊観光」として行っているツアーは、工藤さんの発案で始まったものなのだそうで、
工藤さん自身、現在では人気のなくなった炭鉱跡に何度も出向いて調査を重ね、
様々な資料を自作してツアー客の案内をしており、実は”その世界”では有名人なのである。
自分の写真を持った見知らぬ青年の訪問に工藤さんもノリノリで、早速炭鉱を案内してもらうことになった。
写真の神社があった場所をはじめ、円形の体育館が特徴的な太陽小学校や、立坑、選炭工場といった炭鉱施設、
炭鉱住宅など、予定時間を超過して隅々まで案内してもらい、大満足の数茂だった。
それにしても、こんな山の中にこんな巨大な炭鉱施設と大きな街があったとは・・・。
そしてそれが、炭鉱閉山でこんな人っ子一人いない寂しい土地になってしまうとは・・・。
歴史のダイナミズムに圧倒されてしまう。
そんな中で、軽妙なしゃべりで飽きさせずにガイドしてくれる工藤さんがときどき見せる屈託のない笑顔は、
確かに写真の少年のそれと同じで、「この人の笑顔だけは変わっていないんだな」と、何だかホッとした数茂だった。
工藤俊也
株式会社沿岸ハイヤー